【 おりば 】

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準急、特急、新幹線、ジャンボ機…。長年そんなモノの「のりば」ばかり探していた。数年前「おりば」を意識するようになった。ごく最近、2つの乗り物から降りた。それは、

「自分探し」と「幸せ探し」

「最幸」なんて言ってる人間が突然そんな事言い出すのは、以外に思われるかもしれませんが、本当なんです。

「自分探し」を止めた理由は、

自分以外の要素との関係性でしか自身の存在もその価値も見出せない事に気付いたから。

話は少しそれるが、私は16歳でピアノに初めて触れた時「ド」の位置はどの位置?ってくらい、何も知らなかった。始めた頃は全てが新鮮で、発見の連続。毎日ピアノを弾くのが楽しくてしかたなかった。ピアノの鍵盤は88鍵(機種によればもっと)あるが、その88色の音を介して今まで沢山の事を教わった。

音楽用語に「KEY=調」というのがある。ハ長調とかへ短調とか言う、アレです。例えば「KEY=C」なら、ドレミファソラシドと、ドから順番に白い鍵盤を叩けばいい。「KEY=G」なら、ソ(白鍵のソね)の音からスタートして白鍵のファの位置に来たらその音は省いて、その半音上の黒い鍵盤を入れてあげて次のソまで叩く。そうするとドレミファソラシドに聴こえます(笑)。(聴こえない人もいるが)

語弊はありますが、沢山のドレミファソラシドが存在すると思えば分かりやすいかな。

例えば「KEY=C」の時、ドの音は主役となり、忙しくその役割を果たさなければならない。でも、キーが違ったり、様々な関係性の中で、一度も登場機会がなかったり、完全な脇役として、とても地味な存在になることもある。だからといってその音が必要ないかといえば、とんでもない話で、たとえある楽曲では登場機会がなくても、必ず必要な時がくる。

細かい説明は避けるが、ある同じ音が、時に1の役割、3の役割、5、7、9、11、13‥。時には暗さを、時には怖さを、都会的、牧歌的‥。と、瞬時に担う役割を変える。

ある時はのけ者にされたり、ある時は急に重宝がられ、こき使われたり(笑)。とにかく、あるヤツ(音)が居なくなれば、必要になった時エライ困った事になるのだ!大げさに言えば、コイツ(この音)やアイツ(あの音)が居なくなれば、ある世界にとっては一大事な訳です。いや、もっと大げさに言えば、ある人(音)がいなくなれば、皆が存在する世界は成り立たなくなってしまう。

だから‥

ここの「君」そこの「あなた」あそこの「あの人」達の存在が私には無くてはならない存在。どれだけ自分を厳密に細かく定義したところで「この人」が「あの人」に変わるだけで、自分の存在意義も役割も、いとも簡単に、また常に変化する。同時に個の存在の価値は他があってこそ成り立っているし、輝く事もできる。ピアノの88の鍵盤は必要だから存在するのです。

それは、自己を追求するだけでは決して発見する事が出来なかった盲点でした。「自分探し」には終わりがなく「おりば」もない。その果てしない探求の旅にホトホト疲れ果てた次第。

「幸せ探し」を止めたのも同じような理由。

「幸せの定義」というのも実に流動的。ある人には実に幸せに見える場面で真剣に苦しんでる人がいたり、一見多数の人が不幸に思える要素を沢山抱えた人が、実は何にも代え難い幸せを感じていたり…。自分の微々たる経験を紐解いても、その時は気付けなかったり、ずっと後にハッと気付いたりする事も多かった気がします。

その時の自分のコンディションや乏しい経験、時代、社会通念、風潮、空気、ムード…等の要素を介した思い込み。本当に有るか無いかすらも永遠に分からず、全くなんの保証もされない世界。「本当の自分」や「真の幸せ」という、実に魅惑的な響きを探求し続ける終着駅のない乗り物。

そこから「おりる」事で、ものすごく気持ちが楽になった。

一方、その自分が思い込んだ「本当の自分」や「幸せのかたち」。それらのとらわれから「おりる」事で心がけるようになった考え方が2つあります。1つは、

「目標を定める」とか「旗を立てる」ということ。一見矛盾する考えに聞こえるかもしれませんが…。できればより明確にそれを定めたいと考えるようになった。

人は何処にでも行ける。暫定でもいいから自分で旗を立てる。己の殻を打ち破り、その外にある高い目標を自由に定め、それに向かって自分の足で強い意志を持って歩いて行く。何にもとらわれず、それを遂行する権利がある。‥はずだ(笑)。

もう1つは‥。

他者の人格を決して否定しない。ということ。意見を戦わせるとか、事情のすり合わせとか、そういうのはある。ただ、いかなる場面でも、他人の人格に介入したり、否定したりは決してしない!という気遣い。

私なんて結局、自分がかわいい…。

どれだけかっこいいこと言っても、これ以上愛おしいものを見出す事が出来ない程、己をこの上なく愛おしいと思っている。ならば、他の人々も少なからず同じように己をこの上なく愛おしいと思っているはずだ。

究極は、己を愛おしむように他者をも愛おしむ。それが出来れば素敵だな~!って思うのです。

少なくとも、自分と同じように己を愛おしむ他人を、いかなる理由があろうとも、否定したり傷つけたりする権利はない…。

なんだか長くなって、禅問答のようになってきちゃいましたが、話をまとめると…。

人は何処にでも行ける。そして、何にもとらわれず旗を立て、そこに自分の足で歩む権利を有している。しかし、何処に行こうとも、この上なく己を愛する自分と同じように、己を愛するであろう人々の人格を否定したり、傷つけたりする権利は誰も有していない。そこには「君たちが居て僕が居る」って大前提があるんだから(笑)

「〜でなければならぬ」という特定のとらわれから「おりる」事で、新たな水平線が見えてきた気がしている。ただ、それ自体が「おりねばならぬ」という新たなとらわれとなり、自由を束縛し始める可能性があることは言うまでもない。

また酔っ払いの独り思考遊び、独り押し問答になっとる…汗。

バカな自分でも理解でき、実践出来るシンプルな考え方。極力矛盾の少ない考え方はないものかと、日々手足をバタバタさせながらそんな思考実験を繰り返す‥。様々な共有点を持った音階や和声を探すように‥。

要するに、何かから「おりる」事で以前より楽になり、少しばかり「適当」に近づいたかな?って話しかな…。

いやはや、長文に最後までお付き合い頂きました方々、ありがとうございました。

本日も沢山の「いいね、コメント、シェア」ありがとうございます!

明日が「和」充ちたる1日になりますよう。
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